
【 HatmanDPSオーディオ民生機器モデル製作へ向けて】
第5話 心地好さが大事
人って不思議なもので、印象の良かった記憶を脳内で美化する傾向にあります。
あのとき食べたもの、素敵だなと思った異性、些細な出来事にまで、事実よりも確実に美化された状態の想い出として記憶に残されています。
音色ももちろんそうです。
何年の名盤、伝説のライブ、過去に出会った楽器や機材の音色の想い出も確実に美化されています。
ですから久しぶりにそれらを体験体感すると、「そうそうそう!」と一瞬は感動する反面、「こんなんだっけ?」と思ってしまう部分もあったりします。
それが受け入れられない人は「絶対こんなのじゃなかったはずだ」と頑固に認めようとしません。
音楽や楽器や機材の時代も進んで、今や出尽くした感のあるなかでまだ新しいものを生み出そうとする人たちと、過去のものを再現したり今の時代に沿う形で再編したりする人たちで成り立っています。
それが受け入れられるかという戦いのなかで、大きな強敵のひとつが「美化された想い出」です。
これに対して、こちらはリアリティーを極めることで「実際はこうだったんだよ」と冷静に等身大で戦うのか、またあるいは似顔絵や物真似のように美化されたものに勝る勢いで捉えた特徴を大袈裟に誇張させて「わかる~!似てる~!」と言わせる作戦で挑むのか、これもまた難しい問題だったりするわけです。
それは受け手側がどういうスタンスであるか、どういうことがしたいのかによって別れるので、例えば楽器のサウンドメイクであれば「本当に当時のステージやスタジオではアンプのスピーカーからこう鳴っていたんだよ」と完全再現を目指すパターンと、レコーディングされた音がアンプからそのまま鳴る勢いで「究極のゴッコを目指す」パターンとでは構築の土台から変わってくるんですね。
ひとつの機材でそれのどっちもが出来れば問題なしなんでしょうけれども、どっちもつかずになってしまう諸刃のジレンマを背負いつつ、それでも両者対応の機器を作れないものかと戦ってきたんです。
…というのが2017年9月の手記から出てきました。
そうなんですよね。
ことオーディオに当てはめると、これまでの自分の人生時間を乗せたノスタルジックさを重ねるのをヨシとするか、あるいは冷凍保存した当時の想い出とともに情熱で空気ごと解凍するのをヨシとするか。
解釈や狙いは自由でいいと思うんですよ。
でもね、5分の曲を聴くのには5分消費するんですよ。
何をかは、わかりますよね。
だからこそね、心地好さが大事なんです。
心地好さのツボは人によって様々です。
じゃあ、どういう響きに包まれたら、残された時間の消費に見合う心地好さを超えていけるのか。
どういう空気に触れたら日常の不安や背負っている荷物を一時でも降ろす手助けになることが出来るのか。
面白い、やってやろうじゃないか。
こうして次のやるべきことが示されたのでした。
つづく!